つらい気持ちは?
本をお客様から買ったとき=仕入れの時である。
もう本当にこの本は処分されてもいいのですか、と聞く。今年に入って、お宅を訪問した時のことである。実によい本である。終活の場合は、私の心は動かない。これすっきりしましたね、空いたスペースを利用し、ほんとに必要なものを置くことができて、良かったですね。と会話をしたりします。
ところがそうでない場合がある。ごく最近のことである。処分する本を見て、これを読んだ人がどんな人物であったのかを想像する。私ごときでは、その本を見て、圧倒されてしまう。こんな立派な本を買わしていただいてよいのだろうか、とためらう私がいる。
いわゆる過去の本ではない。現在進行形の実用書、専門書である。普通に考えると手放すはずがない本である。どうしてだろうか、と考えるが、何となくその場の雰囲気で察知する。
私自身も悲しくなる。子の突然の死に直面した母親がいる。母親が目の前にいる。私も子を持つ親―父である。私はここでじかんg
今年入って近所の、子供の頃から知っている若い人がなくなった。自殺という事実に直面したばかりである。今再び青年の死-おそらく過労死ーに直面をした。私は言葉を失う。現に私もつらい気持ちである。私は忘れることができないだろう―これからもこのこのつらい気持ちが続くだろう。
会ったこともない青年である。 だが、私にはわかる。彼がいかに勉強家であり努力家であったのか、いかにきちんとした研究家であったのかがわかる。
譲り受けた本を見ればわかる。残念でたまらない。日本は今様々なー社会問題に直面している。有能な人材であったことは残された本でわかる。
今その本がわたしのちかくにいる。私は、緊張している。ためらっている。この青年が丁寧に読んでいたことは、この本を見ればわかる。本を大事にしていたことはもとより、ページを見ればわかる。 そこには線引き、書き込みがされている。付箋がついている。このことが、彼の偉大さを証明している。いかに丹寧に読んでいたのか、そこに書かれていたことを一生懸命に把握し血肉化していったのか、この青年の自己研鑽である。
これから活躍してもらいたい人材を失ってしまった。今国会で上程されようとしている裁量労働制の問題ではなかろうかと考えてしまう。
有能な人ほど一生懸命わが身体を考えずに働く傾向がある。このことに社会はいくらかの制限をかけることが必要ではなかろうか、
私らがもっているものは、この身体と頭脳だけである。 つい周りの期待に応えたくて無理をするのだろうか?
私は明日からこの人が残してくれた一冊一冊を丁寧に入力していくばかりである。
会ったことがない青年の遺してくれたものを大事にしていこうと思う。この青年に敬意をもって追悼していこう。 さようなら。