俳句の町、松山には多くの俳人がいました。
私の家の近くには、通称「寺町」と言われる一角があります。
護国神社から西にお寺が連なっているところです。
遍路道とも言われています。
護国神社の近くには、山頭火が最期を迎えた「一草庵」という庵があります。
そこから西に行くと、長建寺に行きつきます。
山門前には
門前に野菊咲きけり長建寺(大島梅屋)
の句碑があります。
これは松風会に於ける子規の選句で、子規に圧巻と称賛された句です。
山門を入ると東西に向き合って二基の句碑が立っています。
今日は山頭火と一洵について少し紹介したいと思います。
もりもりもりあがる雲へあゆむ 山頭火
母と行くこの細径のたんぽぽの花 一洵
山頭火の句は(1882~1940年)俳誌「層雲」12号に発表された最晩年の句。
山頭火は天下の自然児。一洵は天衣無縫の妙好人(みょうこうじん)。
二人は昭和14年10月この松山で出逢い、たちまち肝胆相照らし、一洵は山頭火の最期を温かく見守ったと言われています。
その二人の句碑が、ここで向かい合って立っています。
ここで私の拙い句を披露します。
一洵と日向ぼこする山頭火
次に高橋一洵について紹介します。
大正14年早大卆。松山商大(現 松山大学)で教鞭をとり、古代印度の宗教・社会・政治の研究をされた方です。
俳人山頭火を敬愛して最期を見守ったと言われています。
高橋一洵についての本はほとんど出てないのですが、唯一「一洵がゆく」(金本房夫著) 青葉図書
があります。
一洵はお母さんが大好きでした。句碑の句は母とたんぽぽをだぶらせ、揺るぎない母への思いを詠んでいるのでしょう。
句碑の後ろには、たんぽぽの花が咲いていました。絮げになっていましたが・・。
(岡本 栞)
「一洵がゆく」 金本房 著 青葉図書 1500円
http://store.shopping.yahoo.co.jp/sharakudou/30008105.html